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ヨーロピアンフラワーデザインへのあこがれ

ヨーロピアンフラワーデザインにあこがれ、ドイツに渡って無鉄砲にもいきなりミュンヘンの郊外フライジングという小さな町にあるマイスター学校、バイエンステファンの門を叩きました。

 

今考えたらお花の経験も趣味程度しかなく、言葉も話せない状態でよく行ったなぁと感心します。
当然ながら門前払いに近い状態でした。

 

当時の校長先生オットー先生は、
「昔は通訳をつけてそれほど経験のない日本人を受け入れた事はあるけれど、今はそういう特別扱いはしない。ドイツ人と同じステップを踏まないと入れる事はできないよ」とおっしゃいました。

 

ドイツの教育システムを知らない私は、それからあわてて先生のおっしゃる「ステップ」を知人に教えてもらいました。


 

見習いの生活

ドイツでは子供たちは10歳くらいで自分が大学に進むのか、職人の道へ進むのか決めます。
大学へ進学する子供はギムナジウムへ。職人の道へ進む子供はハウプトシューレ等へ進みます。
ハウプトシューレを卒業後、それぞれの職種の職業訓練校へ通います。
私のいたミュンヘンでは、見習いの子はアツビと呼ばれ、3年間、週に2~3日職業訓練校へ通い、
学校のない日は花屋で働いていました。
「マイスター」は直訳すると「親方」となり、マイスターのいる花屋だけが見習いの子を雇えます。
この教育システムはドイツの特徴で、学校と現場での勉強を同時に出来るようなシステムになっています。
またどのお花屋さんで働くかで差が出てきてしまい、Aのお花屋さんでは見習いにたくさん練習をさせてくれるのに、Bの花屋では雑用しかさせない という例がよくあります。
学校はそういった差を埋めるためにも重要な役割を果たしています。
3年見習いとして勉強し、最後にフローリストの試験に合格するとフローリストの資格が得られます。

 

 

とにかく花屋を見つけよう。
そう思って、知り合いにお花屋さんを紹介してもらったり、ディスプレイの綺麗なお花屋さんを何軒か当たっていきました。
幸運な事に人脈も経験も語学力もさほどなかった私ですが、ほとんど断られた事はなかったです。
きっとドイツ人は日本人に対して好意的な点。
遠い日本からやってきた女の子を断ることが心苦しかったのかもしれません。

 

ミュンヘンヒルトンホテル内のお花屋さんで働かせてもらえる事になり、見習いの生活が無事スタートしました。

写真 ペトラのお花屋さん
ペトラのお花屋さん

とまもなく、オーナーのぺトラがマイスターではない事が発覚。
彼女はとてもセンスがあり、そこらへんのマイスターより
綺麗な物を作るのですが、独学で勉強しフローリストの
資格さえ持っていませんでした。
職業訓練校への入学はマイスターのいる花屋のオーナーが
手続きを取ってくれるので、マイスターのいない花屋からは
学校の入学許可をとる事はできません。
花屋のオーナーは全員マイスターだ と勝手な思い込みを
していた私にとってショックな出来事でした。

 


花屋を変えようかいろいろ悩みましたが、ヒルトンホテル内の
大きなイベントを経験出来る事、ペトラの技術、デザイン力が素晴らしい事、今の自分の技術力や語学力の無さを考え、実力がつくまではここで頑張ろうとペトラの元でお世話になる事を決めました。
見習いの報酬は毎日働いて日本円にして3万円程。それでも、言葉も満足に話せない私を置いてくれる事に感謝し、いつ首にされるのだろうとミスを犯す度にヒヤヒヤしていました。
お花が本当にきれいで、ペトラはとても優しかったけれど、言葉がうまく伝わらずホテルの従業員に怒られたり、お客さんに怒られたり、でも辛くなかったのは花が大好きだったからだと思います。



写真 ホテル内のイベントの準備をしているペトラ 写真 ホテル内のイベントの準備をしているスタッフ
ホテル内のイベントの準備をしているペトラ(左)とスタッフ

 

ペトラの元で働き始めて4年ほどたった頃、ミュンヘンから2時間程離れたところにある

FDF主催のブーケ1日コースに参加しました。

 

今まで見た事もないようなブーケの形等を見て
びっくりしたのと、本当にいろいろな事を学べた
充実した1日でした。

 

とてもびっくりしたのが学校に
ウエディングドレスが何着もあって、
レッスン後生徒の中の代表者の何人かが
ドレスを着て作ったブーケを手に
学校の敷地内で撮影会をしました。


 

 

その時の講師はAnne Effelsberg先生です。
彼女は度々日本へレッスンに来ており日本についてよく知っていました。私の今の現状を聞いたうえで、日本に帰る前にフローリストの資格を取ることを強く勧めてくれました。
今の私にどういう道があるのかを親切に教えてくれてそこで私は初めて職業訓練校に3年通う以外にフローリストになる道がある事を知りました。

 

人の縁は不思議だなぁ、と思います。私がちょっとの勇気を出してこのコースに参加したので
次の道が開けたのです。このコースに参加してAnne先生に出会っていなかったら私はマイスターに
なっていなかったかもしれません。
小さな行動の一つ一つが人生を形づけていくのです。


 

 

例外的な試験

Gruenbergというグリム童話に出てきそうな可愛らしい
小さな町の片隅に、FDF主催のフローリストのための学校
があります。そこでフローリストの資格を持っていなくても、
実務経験6年以上ある人対象に、「Ausnahmsfall Pruefung
(例外的試験)」が行われていました。
ドイツのヘッセン州が例外的に認めている試験です。
半年間のコースを受けた後、試験に合格するとフローリストの資格を
得られるというプログラムです。

Anne先生と出会ってからしばらくして、私はペトラに頼み入学の手続きを手伝ってもらいました。

グリューンベルグでのコースも職業訓練校と同じように花屋で働く日と学校へ通う日とで成り立っています。例えば、2週間学校へ行ったら1カ月花屋。3週間学校へ行ったら1カ月花屋というように。

 

私の住んでいたミュンヘンからグリューンベルグまで約500km離れていましたが、ドイツ国内至る所から生徒は来ていたので、学校には宿泊施設も整い何一つ不自由のない生活でした。
カリキュラムの前半はひたすら机の上で理論を学ぶ毎日。
朝9時から夜の10時まで毎日毎日理論と向き合いました。

 

そこで私は初めてドイツフローリストの理論体系を知ることになったわけですが、今まで何となく感覚のみで作っていた私にとってそれはとてもありがたい地図のようなものでした。


 

 

ドイツフローリスト理論との出会い

当時の私は作品を見る目はしっかりしていました。
そして自分自身もある程度のレベルの作品を作れるようになっていました。
でも、ペトラが作るものと自分が作るものとの間には大きな隔たりがあり、ペトラみたいに作るために自分に何が足りないのか、どうしたらペトラみたいに作れるようになれるのか解らない毎日でした。
そして、作品の出来の善し悪しは作ってみないと解らなかったです。
作ってみて初めて、「あー今回は上手くできた」「昨日は上手く出来たけど今日はイマイチだ」というように。ペトラは「練習よ。たくさん練習すればそのうち出来るようになるから」といいましたが
「このままがむしゃらに練習続けても、ペトラみたいになるのは無理だ。
やっぱり才能なのかな、と感じていました。」

グリューンベルグのフローリスト学校では毎日理論を学び、今までの経験の中での疑問の一つ一つが理由づけられていきました。
過去に自分が作ったものでうまくいっていたもの、例えば、この色の組み合わせを選べば間違いない、
この色の組み合わせが私は好きだなぁと思っていた組み合わせに理由がありました。
「このルールにそって色や配分を決めれば間違いない」という事が解るとそれを応用して冒険した色の組み合わせをする事も可能になります。
またどの花材やグリーンを組み合わせたらよいのか。
デザインする際、どのように造形づけていくのか。ひとつひとつに理由があります。

なぜその花を選ぶのか。
なぜその色なのか。
なぜその花を、その場所に、その高さに、その角度で挿すのか。

グリューンベルグでの勉強がなかったら今までのモヤモヤしていたものをクリアにし、また一歩先に進むための大きな原動力になる事はなかったと思います。
それと共にペトラの偉大さを実感。ペトラの作品も結果ドイツフローリストの理論に添って作られているのですが、彼女は理論を学ぶことなく肌ですべてを感じ取ってしまっていたのだと思います。

写真 緑で溢れている学校の敷地

学校の敷地は緑で溢れていて
屋外での課題作りは本当に気持ちがよかった

写真 野外でのグループ制作の様子 写真 ブーケを評価している講師のドリス

野外でのグループ制作

宿題で作ってきたブーケを一点一点
評価していく講師のドリス

 

 

ドイツフローリストの教育システム

グリューンベルグでのコースを終え無事フローリストの試験に合格した私は、迷わずマイスター学校へ進むことを決めました。
レベルの高い花屋で働きたいと思い、マイスター学校のペーターアスマン先生に知り合いのFloraliという花屋を紹介してもらいました。

このころの私の意識は「フラワーアレンジメント」から「フラワーデザイン」に移行した時期だと思います。
以前、バイエンステファンのマイスター学校の学生の展示会を初めて見た時、それが何なの解りませんでした。
「これは芸術なのか、ゴミなのか?」と斬新過ぎて当時の私には理解することができなかった作品も中にはありました。
それ程私の知っているフラワーアレンジメントと大きくかけはなれていたのです。
アートとしてのフラワーデザインを理解できるようになってきました。

マイスター学校はドイツ国内にいくつもあり、それぞれの学校にスタイルがあります。
ミュンヘンに一番近いバイエンステファンやゲルゼンキルシェンのマイスター学校はどちらかといえば自然志向の高い作品が多く作られ、ペーターアスマン先生引きいるグリューンベルグは異質素材を用いた現代的なモダンな作品が特徴でした。

 

写真 グリューンべルグのモダンなデザイン 写真 バイエンステファンの自然志向のデザイン
グリューンべルグのモダンなデザイン バイエンステファンの自然志向のデザイン


 

私はグリューンベルグのスタイルが好きでアスマン先生のマイスター学校に引き続き通う事に決めました。
マイスター学校では、学校によって通学スタイルが異なりますが、私の通ったグリューンベルグでは、フローリストコースと同じように 学校と花屋との二重システムでした。

 

2年間マイスター学校で学ぶのですが、科目はフローリストの時よりも多岐に渡っています。

 

写真 毒物取扱資格の為の授業風景
毒物取扱資格の為の授業風景
Gestaltungslehre 造形学
Farbenlehre 色彩学
Werk Uebung 実技
Zeichnen スケッチ
Betriebswirtschaft Lehre 経済学
Pflanzenkunde 植物学
Buchfuehrung 簿記
Marketing マーケティング

Stillkunde

建築学

 

上記がマイスター学校で学ぶ科目です。
それに加えて毒物取扱資格と教員資格も取得が必須です。
毒物取扱資格は危険な農薬を販売、使用出来る資格です。
教員資格は職業訓練校の学校の先生になるため、見習いの子を雇うための資格です。
15歳くらいの子が見習いで入ってくるので少年心理学等の勉強もありとても興味深かったです。

 

マイスター学校では、より踏み込んだ理論を勉強し、実技ではより造形的な作品に取り組みました。
枝を組むことにより構成される作品。
一見ただ単に組んでいるように思われますが、それも造形効果を出すためのルールがあります。
最初取り組んだ時、自分なりに枝を組んでみましたが、何度作っても先生からOKが出ません。
夜の9時くらいまでなら先生に聞く事もできますが、そのあとは生徒同士で、こうした方がいいのではないか、ああしたほうがいいのではないかと知恵を出し合って翌日の朝までに課題を仕上げるというパターンが続きます。
何度も何度もやりなおし、最初は先生の言っている事が解かりませんでしたが、ある日パターンが見えてきました。
ただ枝を組めばいいわけでなく、枝を組む際の角度、結び目の距離感、奥行き感の出し方。
一度パターンが見えてくると、ポイントが掴め、作成時抑えるべき点をきちんとクリアすればいいという事が解ってきました。
枝を組む作品を例に挙げましたが、全ての作品にこの例はあてはまります。
私がドイツフローリストはすばらしいと思う点は、全ての人(センスがあまりない人でも)が
フラワーデザインを学べるシステムが確立しているところです。


 

 

マイスター学校での授業

期待と不安に胸を膨らませてマイスター学校へ入学しました。
フローリストのコースよりも生徒たちの意識が高いのと、みんな技術的に高い物を持っているような
印象を受けました。
周りの人たちが自分より数段高いレベルにいるような感覚で、本当にこの中で私はやっていけるのか不安の方が多かったけれど、みんなデザインの発想力が豊かで、クラスメートから学んだことは大きかったです。

 

授業は講義3分の2、実技3分の1くらいの割合で、実際は花を使っての実技より、教室で講義を聞いている時間の方が長かったです。
よくみんなにドイツ語もペラペラでスマートにすんなりこなしていたように思われますが、そんなことは
全くなく、ずいぶん苦労もしました。
特に語学では本当に苦労しました。
色彩学、造形学等は全く言葉での苦労はありませんでしたが、経済学やマーケティングでは、知らない専門用語がたくさん出てきて授業を聞いていても全然解らなかった事が多かったです。
日本から録音機を買ってきて使ってみましたが、当時の機械の性能がまだ今のように優れていなかったのと周りの雑音を拾ってしまって後から聞いてもやはり全く解らず。
そんな時、クラスメートには本当に助けてもらいました。
学校に寮が完備してあったので、学校がある期間は24時間クラスメートと生活を共にします。
夜はいつもクラスメートの一人が代わる代わる私の為に時間を取って教えてくれました。
彼らがいなかったら一人では乗り越える事は出来なかったと思います。


実技では材料探しから始まります。
花材選びがうまくいけば、半分以上は成功と言ってもいいくらい花材選びは大切な要素です。
材料はあらゆる所から調達します。
ホームセンターや、石やさん、木材やさん。
森から材料を調達する事が多いです。
ドイツは森が多くありますが、学校の近くにも森がありました。
午前中は森へ材料を探しに行って、午後集めてきたもので
作品を作る事も多かったです。
学校の中の森は水辺があり変化に富んだ森で、歩いているといろいろな自然の顔を見せてくれます。
凛とした空気と静寂の中、息をのむような美しさんに心躍らされ、仲間と感嘆の声を上げながら
どんどん奥に進んで行きます。
蜘蛛の糸に顔を引っ掛けてしまったり、形のいい古木を見つけ、走り寄って持ちあげたら
裏に大量の虫たちがいたり・・・
時には悲鳴を上げながら、ゴミ袋には木材や苔、石・・・とどんどん入れられていきます。

いっぱいになった袋を抱え、学校へ帰ると
集めた材料で何を作りか考えます。
森の中で集める時はインスピレーションで
適当に集めているので、材料を見て何を作るか
後から考えていました。

 

 

 


 

夜遅くまで格闘し創りあげた作品を翌朝みんなの前で発表します。
どうして自分はこの作品を作ったのか、理由を論理的に説明していきます。
そのあと一人一人の作品の改善点や良いところをペーターアスマン先生や他の先生方を交えて話し会い、
作品を作り直す。というのが大体のパターンでした。

テーマは同じでも、みんなそれぞれ材料も違うし、出来あがったものは全く違うものです。
作品を作り終えたら、みんなで丸く円になり、一つ一つの作品に対して、先生がいい点、悪い点を説明していきます。他の生徒の作品を通して何パターンも同時に学べる事になりますし、多くの気づきがあり勉強になりました。

マイスター学校での授業は後から考えたら「大変だったなぁ、よくやったなぁ」と思いますが、当時大変と感じる事は1回もなかったです。
それだけたくさんの人に助けてもらっていたのだと思います。


 

 

マイスター試験

学校生活の最後はマイスターの試験で締めくくられます。
マイスター試験の準備が始まると途端に緊張感で空気がピリピリしてきました。
みんな段々余裕がなくなり、クラスの雰囲気が悪くなってしまう事も多かったです。
みんな必死でした。

 

試験は筆記試験と実技試験。
実技試験のプランは半年くらいかけてじっくり練られます。
まずスケッチ上で修正を重ねデザインを決めていきます。
試験は実際作品を制作する数カ月前のプレゼンテーションから始まります。
クライアントにプレゼンして作成するという設定で、まずプレゼンの資料をパワーポイント等で作ります。この時のプレゼンスキルも試験の点数になります。

 

プレゼンが通ると作品作りの準備を始めます。
私の試験の場合は作品の中で一番大きな物は高さ3.5Mもあるものでした。
建築に使う足場を組んでもらい作品を制作しました。

 

実際制作を始めると上手くいかない事も多くて不安とストレスで眠れない日が続き、解決策が見つけられず作業が止まってしまった事も多かったです。
そんなトラブルが試験前日まで続きましたが、試験の事だけを考え一つ一つ解決し毎日毎日心に余裕のない日々を送っていました。


 

 

マイスターの試験は学生にとって合格、不合格が重要なわけではありません。
マイスターは確かにすごい資格かもしれませんが、マイスターになっても将来が約束されているわけでもありません。
同じ合格でも1~4までレベルがあり、どの成績で卒業出来るか、首席で卒業できるか という所で争われます。「昨日の仲間は今日の敵」になるわけです。
そうなってくると人間余裕がなくなってくるといろいろあるなぁ と今になると寛大に考えられますが、その時はもちろんそんな事を考える余裕もなく、負の感情も随分持ちました。
実際試験をやってみて感じた事が、どんなに実力があってもプレッシャーに自分から負けてしまう人が本当に多い、という事でした。
普段の練習では本当にきれいでいい作品を作っていた人が、勝たなければ!という気持ちが高すぎるのだと思いますが、試験になるとその場の重い空気に負けてしまい、実力を発揮出来ない人もいました。
実際私も試験になると、完璧に作り上げた作品、時間制限もあり焦りで自分の実力が出せなかったものもありました。
精神力も実力の一つ。それもかなりのウェートを占める実力と勉強になった出来ごとでした。
それでも賞をもらえた作品もあったし、もらえなかった作品は力を出し切れなかった事が自分の実力だったと思います。

 

正直マイスターになったことに関して感じる事は何もありません。
マイスターになったからといって約束されるものも何もありませんし特別な事でもありません。
でも外国で一つの事をやり遂げられた事に関しては 私の中では大きな意味を持っています。
孤独な気持と向き合った日々やプレッシャーに負けそうな自分と戦った日々。
これからの苦労を考えたら、そんなものは所詮かわいい苦労だと思います。
でも、人間、難しそうだと思ってもやってみると意外と出来てしまうという事や、自分で決めた事を自分でやり遂げる事は気持ちがいいという事を知る事ができました。

 

ドイツでの約10年に渡る生活では本当にたくさんの人に助けてもらいました。
学校の友達、お花屋さんのオーナーやスタッフ、お客さま。
彼らたちがいなかったら今日の私はないと思います。
本当に有難うございました。
してもらった事の方が多く、ろくな恩返しも出来ず帰国してしまいましたが、
お花を通して社会に貢献できるような仕事をすることが恩返しと思い頑張っていきます。

 

 

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